メディア掲載
タイの雑誌“Siamsport"に9月22日、後楽園で開催されたWBCインターナショナル スーパーライト級 王者決定戦の記事が掲載されました。
『Muay Thaimes』2010年夏号に昨年ラスベガスで開催された“WBCムエタイ・バンタム級・インターナショナルタイトル戦”及び今年3月ロサンゼルスで開催された“WBCムエタイ・ライトヘビー級・世界タイトル戦”及び大和哲也選手対センチャイ・ソーキングスター選手の記事を掲載して頂きました。
P7:
計量は形式的なもの。計量時に計量失敗した選手により、どの試合やタイトルがキャンセルになったか判る。また、ビザの問題で来られなかった選手やメディアルでひっかかった選手。いわゆる試合の前の儀式であり、どのタレントが誰かを確認する。記者やカメラマンが居ること以外は、これは芝居じみたイバル同士の顔見せである。時にはライバル同士つかみかかるような瞬間もみせる。
WBCムエタイ世界ライトヘビー級タイトル戦に向かい、マグナム酒井(日本)は計りに乗る前にほとんど何もまとわない状態であった。この日本の戦士はまるでターザンの様に。うぬぼれは女性だけのものではない。対するガオグライ(タイ)はまるでビューティーコンテストの主役のようでもあった。彼らはまるでベニスビーチの男子のようにとぎすまされた筋肉美をみせつけた。男性ホルモンが誇張される時は往々にして血を見ることになる。結果そうなることはこの形式的な儀式では知らなかった。
P8:
センチャイ・ソーキングスター(タイ)の話は少々違った。ここでの戦いはレジェンドのショーのようだった。大和哲也のセンチャイに対する尊敬の気持ちは直に終わった。センチャイの華麗さはまるで電光石火のごとくカリスマとして影響を与える。
MTAA世界ライト級タイトルマッチ
我々は海を渡り、別にタイトルのためではなく、どちらかと言えば現在のレジェンドとしての財産を観客に魅せるべく、訪れた選手が何を考えていたかは知るよしもない。大和哲也は勝てると思っていたし、日本のチャンピオンは尊敬の念を持って戦おうと思っていた。最初の動きは用心深かった。ローキックで警戒し、続いて左のジャブを打った。トリッキーな動きは別として、センチャイは哲也の動きにより距離感と哲也のスピードを読んだ。トリッキーな動きの片手ローテーションキックに観客はとらわれた。この間に彼は哲也が攻撃を仕掛けるように仕向けた。
P10:
インドシナに吹く“山から吹き降ろす風”を連想させるかのごとく、センチャイは台風を引き起こすかのごとく脚を使った。インパクトは強く高く、日本のチャンピオンに命中した。哲也は体重を全てかけて倒れた。カウントすら10まで行なわれず、レフェリーのハミルトン氏は直にリングドクターを呼んだ。哲也は意識を取り戻し涙を流した。ノックアウトの状態からもこの涙は痛みからではないことは理解できた。感情は時には釘のように堅い。彼のセンチャイ・ソーキングスターとの戦いに向けた気持ちは誰にも理解できない。
マグナム酒井(日本)とガオグライ(タイ)は両者とも選手人生の夕刻にさしかかっている。WBC世界タイトルは栄光となる道の一つ。両者のライバル意識は計量時に確認済みである。か、お互いに嫌いなのか。両者戦いにぶつけた。マグナムとガオグライの両者は、前の2選手より40ポンド重い筋肉に激しさを込めた。お互いに激しくぶつかった。ガオウライは外科用のメスのごとく切りつけた。
P13:
2ラウンド目にガオグライはマグナムに2回肘を落とした。左眼の上の長く深い切り傷から血が流れ出した。ガオグライは更に肘の攻撃を続けたが、ゴングが鳴り救われた。ラウンドの合間にマグナムのセコンドが止血した。
3ラウンド、マグナムは処刑をするかのごとく巻きつき、相手のライバルの頭にギロチンを落とす。レフェリーのダッジ氏から注意を受ける。二人はリングの中心へ移動。ガオグライはまるで処刑者にごとく縦肘で攻撃。マグナムはブロックを。今度は目と目の間、鼻の上に落ちた。鼻が折れたと思うほどのインパクトだったが、後で聞いたらCTを取って大丈夫だったとのこと。試合後は救急へ。マグナムのコーナーが血で染まった。
P57:
ロミーアダンザ(チーム大山)はもう一人の地元及び世界のヒーローであり、常に彼のファンにどきどきする試合を見せている。ロミーは雷をボトルの中に閉じ込めようと戦う。彼と戦うものは焼けどすることを覚悟する。
過去にイギリスのサセックスでパウロ・デ・シルバ(ポルトガル)がそうだったように。IKKCのタイトル戦で初負けを経験し、2008年7月26日にデニス・ワーナーのWCKムエタイ興行にてIKKCインターナショナル・スーパーバンタム級戦のリマッチをラスベガスヒルトンで行なった。ロミーが顎を捉えられKO負け。雷はボトルの外に。その代償は訳一年後の2009年7月25日に同じリングで起こった。WBCとIKKCのインターナショナルタイトルをかけて、地元のセレブはパウロの膝の上を捉えた。雷は再びボトルの中へ。ローキックによりパウロは戦いを続けることが不可能に。来た時は全くベルトを持っていなかったロミーが2個のベルトを手に家路についた。
今回はプリムバレーのワイルドビル・カジノで2009年12月5日に開催されたもう一つのデニス・ワーナーのWCK興行でのWBCスーパーバンタム級タイトル戦ほど激しいものはなかった。藤原国崇(拳之会、日本)も同様にロミーをコーナーに追い込んだ。観客の中には全回の戦争を覚えている者もいるだろう。ロミーはローキックで仕掛けた。国崇はパンチに飛び込み、8カウント倒れた。ロミーは最初のラウンド2ポイントリード。彼はボトルの中の雷を見張るべきだった。
P60:
ロミーは2ラウンド目に既に肘打ちにより流血し、左眼の上は腫れていた。腫れはゴルフボールのサイズほどに腫れあがった。まるで雄牛の目の上の水疱のように。ラウンド間にセコンドあダメージのケアに努めたが、国崇はより激しく攻撃した。ロミーは国崇の肘打ちとパンチのコンビネーションパンチによる攻撃を阻止する方法は見つけられない感じであった。4ラウンド目の飛び膝により肘に対し攻撃した。既に流血が激しかった。リングドクターが見たが、試合の再開をした。国崇はまた攻撃を始めた。ロミーはヘッドライトの中の鹿のよう。リングドクターが再度見た時は、雷がボトルの蓋を吹き飛ばした。ロミーの戦いは4ラウンド2:45で終わった。
株式会社フィットネススポーツ発刊の雑誌"Fight & Life" 2010年4月号に、WBCムエタイにおける今までの活動及び今後の方針に関して、ニュージャパン・キックボクシング連盟 斉藤京二理事長及びMAキックボクシング連盟 橋本敏彦理事長の対談記事が掲載されております。
- Fight&Life4月号 掲載記事(PDF:4MB)
この度アメリカで発行されている唯一のムエタイ誌『Muay Thaimes』に昨年日本で開催された“WBCムエタイルールに於けるトーナメント”の記事を21ページに渡り掲載して頂きました。 これは、2ページに掲載されている、私が同雑誌編集者を含む海外のムエタイ関係者に送った手紙がきっかけとなり、編集長の方がJPMCの活動に興味を持たれ、インタビューの後、活動を記事として掲載してくださいました。
同雑誌は、アメリカ国内はもとより、ヨーロッパやオーストラリアで広く購読されており、約2万部が販売されております。
今年の夏よりアメリカ全土の一般書店にても販売が開始されます。
この雑誌は季刊誌ですが、今後も継続して日本人選手の活躍を掲載して頂く事になっております。
ちなみに次号では昨年12月にWBCムエタイ・スーパーバンタム級でインターナショナルのタイトルを獲得した国崇選手及び去る3月14日にLAで開催されたWBCムエタイ・ライトヘビー級世界タイトルマッチでのガオグライ選手対マグナム酒井選手、及び同大会でMTAA世界ライト級タイトルマッチでのセンチャイ選手対大和哲也選手の試合記事が掲載予定となっております。
同雑誌のサイト:『Muay Thaimes』
格闘技通信モバイルのコラムに記事を書いて頂きました!
緑のベルト
翡翠(ひすい)のような緑色をたたえたWBCのベルトは、プロボクサーの誰もが憧れ、目指す、まさに“至宝”そのものだ。9月23日、NJKF後楽園ホール大会で、同じ緑色のベルトを4人のキックボクサーがその腰に巻いた。『WBCムエタイルール日本統一王座決定トーナメント』決勝戦を制したスーパーフェザー級の赤十字竜、フェザー級の心センチャイジム、スーパーバンタム級の国崇、そしてバンタム級のTOMONORIという各階級の初代王者たちだ。
「リング上で、JPMCとWBCのロゴが入ったチャンピオンベルトを贈呈する時は、ついグッと来てしまって。感無量でしたね」後日、この記念すべき日について感想を求めると、ジャパン・プロフェッショナル・ムエタイ・コミッティ(JPMC)の山根千抄代表は照れ笑いとともにそう言った。
山根氏が「ひょんなきっかけから」JPMCの代表を引き受けたのは1年半前。キックジムの練習生だった頃、同じジムでサンドバッグやミットを蹴り続け、打ち続けるキックボクサーたちのひたむきな姿に触れ、「それぞれの団体でチャンピオンになった、その先の目標や夢を彼らに持たせてあげられたら」との思いを強くした。その矢先の代表オファー。もともとアパレル関係の事業展開責任者として活躍していた山根氏にとって、格闘技組織の運営は未知数だったが、「1人でも多くの選手たちに“世界”を味わってもらいたい」との思いから、手探りの組織づくりをスタートさせた。「世界での闘いは当然、完全アウェー。言葉の通じない中で闘って、でもいい試合をすれば観客が感動して惜しみない拍手を送ってくれる。それって、何ものにも代えがたい経験だと思うんです。私も若いころ海外に行っていますが、若い時に海外に行くと感じるものが本当にたくさんあるんですよね。そういう機会を選手の皆さんに与えてあげたいというのがJPMCの出発点ですし、その思いはもちろん今も変わりません」
この1年半は、決して順風満帆な航海ではなかった。「ベルトの乱立になるだけではないか」「国内団体のタイトルが軽視されはしないか」批判にさらされ座礁寸前と思える日々もあった。「それでも、とりあえずできるところから形にしていこうと。そうすれば、もっと私たちがやろうとしていることがわかってもらえるかなと思って。まだすべての団体に賛同いただいたわけではありませんが、嬉しいことにNJKFやMA(日本キック)の方が理解してくれて『やりましょう』と言ってくださった。それがなければ、今回のトーナメントも実現しなかったですよね」WBCムエタイルールの中で闘える日本の強い選手を育てること。そして、強い選手をどんどん世界に送り出し、WBCインターナショナル、さらにWBC世界王座に挑戦させること。二つの目的を掲げるJPMCにとって、今回の初代日本統一王座制定はようやく踏み出したファーストステップだと、山根氏は言う。
「10月18日にはフライ級とスーパーライト級、12月4日にはライト級とウェルター級でそれぞれ初代王者が決まります。この結果を踏まえて全8階級の日本ランキングも作れると思いますし、王者の中からインターナショナルに挑戦する選手も推薦していきます。今回はNJKFとMAの選手がほとんどでしたが、今後は他団体やフリーの方にも参戦していただいて、どんどんこのベルトを賭けて闘ってほしいですね」上半分にJPMCのロゴ、下半分にWBCのロゴをあしらった日本統一王座のベルトは、グラフィックデザイナーの顔も持つ山根氏自身がデザインしたものだ。「もちろん、WBC世界王座のベルトを作っているところに制作をお願いしました。選手もきっと、そのほうが嬉しいと思って」選手はベルトのために闘うわけではない。その先の、その奥の、何かをつかみ取るために、きっとリングに上がっている。それでも、いや、その思いを知っているからこそ、賞賛と激励の証として、ベルトの細部に思いを込め、ベルトに思いを乗せる人間もいる。
文:藤村幸代
3月30日発売のタイの英字新聞「Bangkok Post」がJPMCを取り上げています。
「格闘技通信」(4月23日発売)で、JPMC理事長(現代表)山根千抄がインタビューされています。
4/23に発売された、「ゴング格闘技”GONKAKU”」6月号の82、83ページの「教えて、教授!」というコラムにJPMCを取り上げて頂きました。このコラムは東京大学大学院・大学院総合文化研究課教授の松原隆一郎先生がインタビュー形式で答えるコラムで、今回は「ムエタイのルール統一の動きには必然制がある」というテーマです。
文藝春秋「Number」 号で、WBCムエタイ審判部長によるレフェリー・ジャッジ講習会が記事になっています。
共同通信 月 日 配信の記事で、WBCムエタイ世界フェザー級世界ランカーとなった駿太選手の記事が掲載されています。
「Tokyo Headline・#363 」にて中村元気選手のジャマイカでの試合が紹介されています。